
人間はなぜ探求をやめないのか
みどりんです。
人間はなぜ探求をやめないのか。
いくつもの理由があるでしょう。
気づきたい、人生をもっと良くしたい、もっと幸せになりたい。
今の自分ではだめだ、もっと成長しなくてはいけない。
問題の答えを知って安心したい、などなど色々な理由があるでしょう。
私も何十年も、人はなぜ生きるのか、私は誰か、どこから来てどこへ行くのか?
外側に答えを求め、何百冊も本を読んだり、セミナーに行きまくっていました。
本当は自分の中に答えがあるのを知らなかったからです。
本当の自分を知らなかったからです。
自分の中にある無限の能力を、可能性を知らなかったからです。
反対に、自分には何の価値もない、こんな私が存在していていいのだろうか?とさえ思っていました。
かと言って、死ぬ勇気もなくダラダラと仕方なく生きていました。
人間には根底に分離感があります。
自分と他人、自分と目の前の物質。
偉大な神様と、ちっぽけな救われる必要のある人間。
本当にそうでしょうか?
50年くらい前、ある日突然、目の前に無数の星がきらめく真っ暗な宇宙空間に浮かぶという体験をしたことがあります。
無理やり自分の想像力を使っての頭の中のイメージ空想ではありません。
またある時は、数百人いる講演会場で、これまた自分の姿形が突然消え、会場の大衆も消え、会場自体も消え、光だけのエネルギーの世界が現れました。
寝ようかと布団に横たわった瞬間、目の前にタイムトンネルが現れ、その中をすごいスピードで通り抜け、異次元世界へ行く体験もしました。
その時思ったことは、この世以外の世界がある。
宇宙即我、全ては一つのエネルギーで出来ていて、他人はいない万物全てが自分なのだと。
今、量子物理学の世界では面白い実験結果が出ています。
この世は仮想現実だとか、自分がいなければ宇宙は存在していないとか、常識のある人間には荒唐無稽な到底理解できない結果でしょう。
宇宙にはあなた一人しかいない一人宇宙説。
一人一人の世界の真実があるんだと今は、そのとうりだなと確信しています。
宇宙は完全完璧、あるがまま、何もしなくてもいいし、してもいい、どっちでもいい。
頑張っても頑張らなくても、どっちでも好きに生きて体験を楽しめばいい。
無である宇宙が有である宇宙を創造し、あらゆる体験を万物を通して楽しんでいるだけ。
良いも悪いもなくただ楽しく体験しているだけ。
それでいいのだ~それでいいのだ~天才バカボンの世界を生きているお気楽な今日此頃です。