
今の、あるがままにいる
みどりんです。
一番大切なこと、自分が今にあるがままであり続けること。
押し付けがましくなく、義務感もなく、柔らかな風のごとく自然体。
善人であるとか、悪人であるとか、能力があるとか無いとか、人の役に立つとか立たないとか関係ない。
人は絶えず何かしら思考しつぶやいています。
その言葉は一体誰のため?
そしてその言葉は誰が聞いて何を得ているのでしょうか?
その言葉は自己愛ではなく、自分自身を傷つけてはいませんか?
あなたは今、平安の中に快適にいるとしましょう。
そこにあなたの平安を乱す何者かがやって来たとしたら、あなたは何を感じるでしょうか。
その侵入者に対して不快感を覚えるでしょう。
平安で有り続けることはできなくなります。
不快感を感じたくないからといって苦手な人を避けていると、また嫌な人に出会うのではないかと怯えながら生き続けることになり、自分を大切に思うあまり自分の部屋から出られなくなってしまうかもしれません。
エゴは傍若無人、不快や怒りイライラを我慢せず、重い存分に喋らせてあげてください。
人がいない所で大声で叫ぶなり、海辺へ行って暴れるなりしてみてください。
やがてエゴのエネルギーがなくなりおとなしくなります。
人は怒りや恐れの感情にいる時、人を愛することが出来ず人を責めてしまいます。
実は、あなたを阻害する人なんかいません。
そのように見えたり感じたりするとしたら、単にその人は自分を守るために必死で戦っている弱い人なだけです。
その人の魂の進化にとって最善なことだから起こっているだけなのです。
あなたが外界に対して平安や快適さを求めた瞬間、その反対の不安や不快さも同時発生します。
外界に対してプラスを求めれば、同じ大きさのマイナスの種を内臓するのです。
コインの裏と表と同じで、二極の世界が同時に発生するのです。
それが貴重な三次元人間体験ゲームのシステムのようです。
だったらどうすればいいんだよ~という心の叫びが聞こえるようです。
この不快さは根源の無の世界では決して味わえない高揚感のようですが、そろそろ私は飽きてきました。
あなたは意識の進化を求めていまこの地球に存在しています。
意識の進化とは、根源に帰還すること、既にそれであったことを思い出す旅です。
人類はそのことに気づくために気の遠くなるような難行苦行の修行に励み続けて来ました。
しかし、それは手の届かない高みに在るのではなく、すでに自分の中にあったのだと気づきます。
あなたが今そのまま、あるがままで最高であるように、あなたの周りにいる人も例外なく今の瞬間が最高なのです。
あなたに起きていることは、あなたにとって最善のことしか起きていません。
エゴにとっては最悪の事態だと思えることでも、最善のことしか起きていません。
その出来事は、何かに気づくキッカケ、チャンスなのです。